2002年頃、不景気の中で起こった空前のパチスロブーム。そんなご時世に学校を卒業し新社会人となった若者は、もっぱら仕事帰りのパチスロに勤しんでいた――。
長編小説 / 社会ふ適合
毎月25日。土日祝日が絡むならその前後にそれはあった。
3時の休憩が終わると年長者から順にお呼びがかかる。30分ほどすると自分の番になり普段は縁遠い社長室へとむかった。
「はい、今月もご苦労さん」
そう事務的な言葉を発した社長から手渡されたのは印鑑が沢山押された台紙だ。それに持参した三文判を押すと引き出しから茶封筒を取り出し始める。
社長は取り出した茶封筒の名前を確認するために眼鏡を外し、細い目をさらに細めて顔を遠ざける仕草を始める。そんなまどろっこしい動作を眺めながら終わるのをただ待つ。
「ん」
ようやく確認し終わった社長は、のどを鳴らすように声を出して茶封筒を差し出してくる。明後日の方向に出されたそれをうやうやしく受けとって、その場を後にした。
そうしてようやく手にした茶封筒は、またの名を給与袋という。
この中には18万500円と明細書が入っている。これが月の拘束に対する報酬の全てになる。これを貰うためだけに今ここにるわけだ。
戻る途中にタバコ休憩をしている工場長と目があってしまった。無視するわけにもいくまい。いやらしい顔つきでこっちを見ている。
「いっぱい入ってたけ?」
工場長の必殺フレーズがさく裂した。先々月と先月も同じこと聞かれている。
毎月決まった額しか入っていないのは確実なのに、なぜ決まってこう聞くのか最初はよくわからなかった。話の端々から察するに、どうやら工場長からすると給料は会社から頂けるもの、よって金額は関係なく貰えてラッキーというような感じのようだ。
後は、こんな子供が大金を受け取って内心うれしくてたまらないのだと勘違いしているのであろう。
「何買うんだ?」
工場長の必殺フレーズ第2弾がさく裂する。
「いや、特に何も予定はないです」
「うっそーん。じゃあ貯めて車でも買うのけ?」
大げさに驚く工場長だが、これも先々月、先月と同じことをいっている。
「いや、車は乗れればいいんで今のが壊れない限り買わないです」
「酒飲みか?」
「お酒は飲まないですね」
しつこいくらいに聞いてくる工場長。何度同じ会話をさせるのだろうか。
「じゃあ、おねえちゃんのいるとこで使うのか?」
「キャバクラとかですか? 行かないですね」
「じゃあ何に使うんよ?」
もはや呆れてきたと言わんばかりの工場長だが、それはこちらも同じだ。
「特に使いません。なんか使わないとダメなんですか?」
「かー、若いのにこれだ。俺っちが若い頃は、給料貰ったらすっ飛んで歩ったもんだよ」
工場長はどうでもいい武勇伝を誇らしく語る。
「特に欲しいものとかないんですよ」
「酒も女にも金使わねーで、何が楽しみなのよ?」
「それをよく言われるんですけど、逆にそれが楽しいんですか?」
酒、車、女――、工場長のいう楽しみは理解できなくもない。だが、それしかないかのごとく力説するほど大したものには思えない。
「変なこと聞いてー、このー、それが普通なんだべよ」
ニヤニヤしながら肘でつついてくる工場長のボディタッチをかわしながら愛想笑いしてやり過ごす。
おちゃめな工場長との会話は疲れる。変わった話し方には慣れたが、話題がいつも下世話な方向にむかう挙句にやたらと体を触ってくるのは勘弁してほしい。
セクハラという言葉を知らない工場長は確かに面倒だが、まだ下っ端に対して目をかけてくれるだけマシだ。パートのおばさま方にはお子様扱いされ、他の社員たちの周りにはびゅーびゅーと先輩風が吹き荒れている。
媚を売らない新入りとして、さぞかし生意気に映っているのだろう。いつも真っ先に帰る新入りの評価なんてそんなものだ。
午後4時を過ぎ、定時が見えてきた頃になって工場長が印刷室に現れた。
「これ頼めっけ? 急ぎなんだけど」
すまなそうな顔をしたつもりの工場長だが、タバコ臭いので休憩してから来ているのがバレバレだ。
ここ最近になって、急ぎ名目の仕事を持ってくることが増えた。定時で帰る空気の読めないペーペー社員への教育といったところだろう。
急いで取り掛かって終わらせたが時刻は午後6時をまわろうとしている。
混雑する道を避け裏道を通っていつもの店へむかった。
駐車場につき車を降りようとするところで給与袋を持っていることに気づく。さすがに店内に持っていくのは気が引ける。そこで給料袋を運転席のマット下に隠して店へと入った。
騒々しい店内を歩きまわってハイエナできそうな台を探す。
だが、見つからない。
午後5時を過ぎた店内は加速的に客が増え6時を過ぎた辺りでピークを迎える。そんな中で空き台が出ても、その履歴に関係なく即座に埋まってしまう。
時間を恨みながら辛抱強く待ったが、状況は変わらない。午後6時過ぎに来て今は8時半になろうとしているが、まだ1台も打てずにいる。
パチンコ屋に来て条件に見合う台が空くまで店内を歩き回る。たまに休憩所で雑誌を読んで時間を潰して、また店内を歩き回る。
これがハイエナの姿だ。いつも御馳走にありつけるわけもない。
結局1台もやることもなく9時を過ぎてしまい、しかたなく店をでた。
途中でコンビニによってアパートへと帰る。
タバコ臭い仕事着を捨てて部屋着になってから買ってきたパンを食べつつ雑誌を広げた。
雑誌にはグラフや表が描かれ細かな数字が並んでいる。その隙間を縫うようにみっちりと説明や補足が書かれ実践データにシミュレート値、振り分けテーブル表など情報量の多い構成になっている。
これはアカデミックな専門書ではなく、ただのスロット雑誌だ。
これを毎号欠かさず読んでいる。必勝と銘打たれたタイトルと派手で怪しい色使いの表紙からは想像も出来ないかもしれないが内容はいたって真面目だったりする。
毎号のように新台の情報が載り今現在で店に並ぶ機種たちの攻め方が書かれていた。
最近の機種は特に仕組みが複雑で中身の把握が重要な作業となっていた。解析情報が詳細に載ることで熾烈な台取り合戦が始ったり逆に誰も見向きもしない台になったりと、その影響力は大きい。
過去には絶大な攻略効果をもたらす打ち方や手順情報が掲載され、その手の雑誌を店側が本気で嫌がる時代もあったらしい。
「ねぇ、ツトムって会社で何してんの?」
突然の質問に怒られたのかと思って顔を上げる。テーブルのむこうにいたジュンコがうつむいたまま声を出してきたようだ。
「ちゃんと仕事してるよ」
さっきまでマニキュアを塗っていたから静かだったんだろう。おかげで部屋が臭い。
「違うよ。仕事の内容を聞いてんの」
「ああ、神様作ってる」
何だそんなことかと思って途中だったページに視線を戻した。
「はぁ? 何それ」
聞き返してくるジュンコ。声に苛立ちを感じる。
「だからー、お守りとかに使う神様を印刷してるの」
「なんだ、そういうこと」
ちゃんと理解したのかどうか分からないが納得はしたようだ。
「そんな変わった仕事してたんだ」
暇になった途端に話かけてくるジュンコに対して、大人しくテレビでも見ていればいいのにと思ったが口には出せなかった。
「ただのお守りとかお札作りだよ」
「でも、あんたが作ってたら御利益なくなりそう」
「元からないよ、そんなもん」
そう言って雑誌を閉じる。とても読ませては貰えなさそうだと諦めたからだ。
「見せてあげたいよ。機械から等間隔で目一杯敷き詰められた神様を」
いかにも相手をしていますよとアピールするために口数を多くする。
「へー」
口元に手を当てて、さも感心したようにジュンコは声を出す。一応、ご機嫌取りは成功したようだ。
「何でうれしそうなの?」
「ちゃんと仕事してたんだと思ってさ」
そうしみじみと漏らすようにジュンコはいう。
「そんなに仕事してなさそうなの、俺って?」
「だって、仕事の話まったくしないじゃん」
「だって、興味ないもん仕事になんて」
「そんなつまんなそうなやつには真剣になんのに、なんで仕事はダメなの?」
ジュンコのいう“つまんなそうなやつ”とは、このスロット雑誌のことだろう。確かに娯楽雑誌にしては数字ばかりで異質かもしれない。こんなものに真剣になれるなら、仕事くらいそれなりにやれるはずだ、とジュンコの心の声が聞こえる。
「スロットは覚えれば覚えただけお金になるし……」
「仕事も一緒じゃん」
遮るようにジュンコはいう。
「違うし。サラリーマンは頑張っても頑張らなくても給料なんてかわらないから。だから、みんな手を抜く方に精をだすじゃん」
「なんでそんなに冷めてんの?」
ジュンコは低い声でいってくる。
「そう? みんなそうじゃないの?」
そういうとジュンコは話しかけてこなくなった。再び雑誌を広げて数字ばかりが並ぶページを追っていく。
翌日、出社してまずはパソコンの電源を入れる。
自分の主な仕事は印刷と印刷版の管理だ。
大きな発注もないので、もっぱら銅製の印刷版をデジタル化してオフセット印刷に対応出来るように毎日パソコンを前に仕事をしている――、そういう事になっている。
デジタル化などと言うと難しそうだが、単にスキャナで印刷画像を取り込んで、画像処理ソフトというお絵かきツールで綺麗に修正するだけだ。実際のところ小学生でも出来るような作業になる。しかし、工場長を始め社員はパソコン操作が苦手なようだ。覚える気もないらしい。
だから、ペーペー社員にはうってつけの仕事だとあてがわれた。
デジタル化する印刷版は工場長が決めて出してくるが、それを普通にやると昼前には終わってしまうくらいの量だった。
前任者が、これを1日かけてやっていたらしい。たぶん、取り込んだ画像に現れてしまうノイズをご丁寧に手動の消しゴムツールで消していったのだろう。
これを普通にやれば時間が余ってしまうが、それは評価されない。ペースを調整しながら作業していくが、それでも暇になってしまう。だから、暇つぶしがてら表計算ソフトを使って日々のスロットの収支表をつけるのが日課になっていた。
最初は単純に勝ち負けを付けていた収支表だった。
今では日時と曜日、機種、投資金額、回収金額、総回転数、ボーナス種類別回数、打ち出した条件など細かい項目の並ぶものになっている。
この収支表を見れば、この会社に入った4月からの軌跡が振り返れた。
今は10月の半ばだから約半年間で60万円ほど勝っている。月にして10万円に届こうかというところだ。勝率は半々に毛が生えた位だが、勝ち額と負け額の比に差がある。勝つ時は大きく負ける時は小さく収まった。
ハイエナは勝てる。それは間違いない。
しかし、こうして集まったデータから、違うことも見えてくる。
これが限界。これが上限だろう。
これ以上のペースで勝ち額を上乗せしていくのは無理だ。仕事帰りの限られた時間で足を棒のようにして歩き回り目を皿のようにして台を探す、それを毎晩、ほぼ毎日、これ以上はしたくても出来ない。
回数をこなせばこなすほど結果はでる。しかし、平日は2台出来るか出来ないかの瀬戸際だ。長い時間をかけられる休日と合わせたとしても月に出来るのは50台前後しかない。おのずと上限は決まってくる。
「やってっけ?」
脅かすように工場長は現れた。少し開けたドアの隙間から顔だけ出して、こっちを見ている。いたずらっ子のような表情が脅かしてやったという成果を物語っている。
満足げにこちらに来る工場長に対して、下手に何をしていたのか聞かれる前に先手をとった。
「給料ってどうやったら上がるんですか?」
「変なこと聞くんだね」
急な質問に下唇を出して工場長はおどける。
「お給料のことって聞かないのが、マナーなんですか?」
「うーん、そういうわけでねえと思うけど普通は聞かねーわな」
「そうだったんですか」
「ちなみに俺っちは、そんなに貰ってねーど」
指を2本を出してから開いた手のひらに指を3本足して8を作った。どうだと言わんばかりの顔だ。月給28万。これがここで働いて得られる上限らしい。
昼休みになり、みなが作業をヤメて昼食を取り始めたが1人外に出た。
外はよく晴れている。車に乗って近くのコンビニに弁当を買いにむかった。
朝の内に買っておけばいい話だが、それはしない。理由は簡単だ。職場を抜け出したい、ただそれだけだ。
たった45分の昼休み。それもみな忙しなく口に放り込み、持参した弁当を食べ終わるまでに10分とかからない。そして、20分を残した所で持ち場に戻りタバコをふかしながら仕事の体とる。
忙しないお昼休み。ただ食い物を腹にいれ、それが終われば、そそくさと仕事に戻っていく。
そんな時間を抜け出したくて毎日こうしてコンビニの駐車場にくる。
フロントガラスから見える空は真っ青だ。少し開けたドアからは心地よい風が入ってくる。少し前のうだる様な暑さとまとわりつく湿気も落ち着き、もう冷房に頼ることもなさそうだ。
社会人になって1年の半分が過ぎた。振り返って覚えているのは何もない。
――後何年、働くんだろうか?
ふと、そんな疑問が浮かんだ。
だが、答えは知っている。そう、ずっとだ。考えるまでもない。あのどこまでも続く天井知らずの空と同じだ。
そろそろ昼も終わろうとしている。会社に戻らなくてはならない。小さなため息がこぼれる。
脱いでいた靴を履こうと屈むと足マットの下に隠しておいた給料袋を思い出した。これを手にするために今から戻ろうとしているわけだ。
取り出して軽く振ってみる。袋の中の500円玉は逃げ場もなく薄っぺらい世界を窮屈そうに行き来した。
2002年10月16日 -8000円
17日 +2000円
(現在地:社会ふ適合/5G目:茶色い封筒)