2002年頃、不景気の中で起こった空前のパチスロブーム。そんなご時世に学校を卒業し新社会人となった若者は、もっぱら仕事帰りのパチスロに勤しんでいた――。
長編小説 / 社会ふ適合
目の前で勇ましく回るリールが突然止まった。
ストップボタンを押したわけではない。壊れたわけでもない。超常現象の類でもない。そういう風にできているからだ。
スロット台の自動停止機能――、リールを回したまま、ほったらかしにして40秒以上経つと勝手に止まる仕組みだ。それが今起こった。
自動で止まる位置は前回ゲームの停止出目からある程度逆算できる。昔はこれでボーナスが勝手に揃うように仕込んで遊ぶこともあったが、今はメダルがもったいないのでやらなくなった。
それを敢えてやったのは、ただの悪あがきだ。そのまま席を立つ気にならなかったからそうなった。
目の前の台は1162というゲーム数で止まったままだ。
打ち進めたいが、それはできずにいる。別にお金がないわけでもやる気がないわけでもない。単純に時間が足りないのだ。
仮にすぐに当たってもボーナス消化に3分、その後の連チャンゾーンを消化するのに15分程度、さらなる連チャンを考えれば40分以上は必要になる。
だが、今は10時26分。閉店まであと4分だ。もうどうにもならない。
まだ閉店は迎えていない店内でただ何もせず台の前にいる。冷静に考えて、どうしようもないのだから大人しく帰るのが正解だ。しかし、その踏ん切りがつかない。
昨日もこうだった。それだけではなく、ここ数週間の内に何度も同じ目に合っている。
そのせいで今月の収支は上向くはずもなく、それどころかマイナスだ。月単位で負け越すことなど、今までなかったのに――。
原因はわかっている。時間だ。いつも時間が足りない。
19時近くに来て混雑した中で台を探しても見つからない。21時近くまで待ってようやく見つけたとしても時間に不安が残る。今日のような日が増えていった。
再びリールを回す。だが、ストップボタンは押さない。今度は止まるのを見届ける事なく席を立ち店を後にした。
5分おきにセットした携帯電話のアラームがなる。3度目が鳴ったところで諦めて布団から出た。
午前8時25分、すぐに出発しないと遅刻が確定する。急いで支度してアパートを出た。
会社に着いたのは始業時間5分前でセーフ。いや、いつもアウトだ。
「おはようごさいます」
そう挨拶して作業場へむかうも返事はない。彼らにしてみれば、もうとっくに過ぎた朝なのだろう。
そんな彼らだが始業時間前にきて何をしているのかというとスポーツ新聞や週刊誌を広げ、のんびりとタバコをふかしているだけだ。
気にせず自席に座ってパソコンの電源を入れる。準備をしていると工場長がやってきた。
「ツトムくん、ちょっといいけ?」
いつもよりずっと落ち着いた声だ。ちょっとで済まない事くらいは想像できた。
喫煙所に呼び出されると工場長はタバコを左手にライターを探す。
「吸わねえんだっけか?」
「はい、すいません」
工場長は、その答えに関係なくタバコを吸い始めている。最初の一吸いの後、唐突に話を切り出した。
「いやよ、もーちっとだけ早く来れねーかな?」
煙のかかるしかめっ面で歳の割には白髪の多い頭をぼりぼりと掻きながらいう。
「毎日じゃなくてもいいんだよ。週2回とか3回とかさ、みんな8時前にはきてっぞ?」
息子ほど年の離れた相手に工場長は言い聞かせるように話す。
定時で帰らせないだけでなく朝も1時間以上早く来いとのお達しだ。仕事の内容の云々ではなく、みなと足並みを合わせろということなのだろう。歯切れ悪い物言いをするのは言葉にすると無理があることを知っているからだ。察するようにと遠まわしな物言いで圧力をかけてくる。
これに従うようなら、そもそも定時で帰ったりするわけがない。
「みんなそうだから来る必要があるんですか?」
その問いに工場長は答えず、ただ苦笑いして煙を吐いた。
その日の定時が近づく頃になると、いつも通り急ぎだという仕事がまわってくる。
それを片付け終わる頃には18時を過ぎていた。帰り支度をして誰にも挨拶せず職場を後にし、いつも通りロジャーへと向かう。
店内に入り、台を探すが見つからない。周回するようにグルグルと店内をまわって時間を潰す。
ふと、1台のキンパルの前で足が止まった。昨日、自分が打った台だ。
履歴を確認していくと今日最初に当たった回転数は76ゲームと表示され、そこから4連している。このゲーム数だとリセットというより据え置きが濃いかもしれない。
そうだとすれば昨日ヤメてからわずか76回転で当たっていたことになる。
昨日ギリギリまで続行していれば連チャンまでは取りきれなかったとしても、ボーナス1回分は流せたかもしれない。その後の連チャン分も時間さえあれば、そのチャンスは自分にあったはずだ。
そんな手にできなかった可能性が浮かんでは消えていった。
しばらくして820ハマりの台が空くも時間は9時23分になる。閉店まであと1時間だ。750ゲームは回せるだろう。
仮に1280にあるストック有り条件の天井までいってしまっても、まだ300ゲーム近く回せる時間がある。5連チャン分くらいを取れる余裕はあるはずだ。だが、怖いのはストック切れで天井越える場合だ。総回転数3700で、ビッグ6、バケ7――、おそらくある。きっとあるはずだ。
急いで打ち出すも、それは気持ちだけになる。
スロットにはウエイトと呼ばれる制限があり一定以上の速度では遊技できない。
レバーを叩いてリールが回り出してもストップボタンが有効になるまでにわずかに間ができる。それは、ほんのわずかの間なのだが急いでいる時、特に閉店が迫っている時にそれがいちいち遅く感じられる。
慣れた打ち手なら普通に打っていてもウエイトがかかる。つまり、急いでも急がなくてもほとんど変わらないのだ。
打ち進めていくがデータカウンタの数字が増えていくばかりで何も起こらない。
演出も散発的にしか発生せず当たらなさそうな気配を醸し出している。そんなものはオカルトだと振り払うものの昨日と同じ結末が頭をよぎる。
だが、演出なしからの子役ハズレ目という珍しいリーチ目でて、あっさりとビッグが当たってくれた。
よかった、と安堵のため息が出る。時間はまだ21時32分、閉店まであと1時間の余裕がある。
ボーナスを消化し連チャンへの期待を込めてレバーを叩いていくも、あっさりと32ゲームを抜け64ゲームまで来てしまった。
ストックがあるなら128まではチャンスになるが64ゲームまでが選ばれていない時点で当たる気がしない。すでに手元のメダルは300枚しかない。今ヤメれば2000円ほど勝っている。だが、可能性を追って128まで回せばそれもなくなる。
少し悩んだが結局128ゲームまで回し連チャンすることなく席をたった。
辺りを見回すもやるような台は見つからない。時間的にも無理がある。今日もこれで終わりにするしかない。
店を出て、いつものファミレスにむかった。
「最近くんのおせーんじゃん」
席につくなりカズキがいってくる。
「なんかさー、わざと定時で帰れないように仕事持ってくんだよね」
「なんだそれ?」
カズキが聞いてくる。
「たぶん、空気を読まないで定時で帰ろうとすっから嫌がらせのつもりなんじゃん」
「でも、残業代でんならハイエナみてーなもんだろ」
「それがさー、先月40時間残業しても明細にのってないし」
「あー、よくあるやつね」
あくびをしながらカズキはいう。
「経理のおばちゃんにいったら『うちは残業ないことになってるから』だとかいわれた」
「俺らが入るようなゴミ会社なんてそんなもんだろ」
カズキの声に抑揚はない。ただ事実はいっているだけだ。
次の日も3度目の目覚ましでギリギリに起きて会社にむかう。
出社して誰にともなくおはようございますを言い1人で淡々と仕事をこなす。昨日と全く同じ、いや、ずっと同じ毎日で気持ちが悪い。
午後4時をまわり定時まであと1時間をきった。そろそろ追加の仕事がくる頃だ。ところが工場長は現れずに定時を迎えた。
最近の自分の態度に気を使ったのか、それとも諦めたのかわからないが別にどちらでもいい。帰らせてもらうだけだ。
薄暗い空の下で車を走らせるとロジャーが見えてくる。
この時間は、いつも満車に近い駐車場が気味の悪いほどガラガラだ。車を正面入り口に横付けするとガラスドアに広告が貼ってある。
―― 明日は爆裂新装大開店。本日は新装の為お休みさせていただきます ――
いかにもといった言葉の並ぶ広告がそこにあった。今日は休みというわけだ。
他の店へ――、そう頭の中で各店の位置を思い浮かべるが、どの道を通っても渋滞につかまってしまう。一番近い店にむかったとしても混雑した後になっているはずだ。
ひさしぶりに定時で会社を出られたのに、これでは意味がない。それに台を求めて歩き回るのを考えると急に億劫になってくる。
今日は帰ろうと自然にそう思った。
アパートに戻るなり、着替えもせず布団にそのまま寝転ぶ。何もする気がおきない。そのまま目をつぶって考えるのをヤメた。
次の朝、いつものように枕元からアラームが鳴るのが聞こえる。
1度目のアラームだ。素早く消して目を閉じる。
2度目のアラームが鳴った。もう5分たったのだ。ボタンをぎゅっと押して黙らせた。
3度目のアラームが聞こえる。アラームが続く。止めないからだ。もう起きなければ遅刻になる。
ずっとアラームが鳴り続けている。止めないからだ。
ひとしきり鳴り続けたあと勝手に止まって静かになった。
2002年12月11日 -27000円
12日 ±0円
#5←前話・次話→7G目:無職になったら
(現在地:社会ふ適合/6G目:自動停止)