2002年頃、不景気の中で起こった空前のパチスロブーム。そんなご時世に学校を卒業し新社会人となった若者は、もっぱら仕事帰りのパチスロに勤しんでいた――。
長編小説 / 社会ふ適合
「ツトム君はパチンコはやんのけ?」
工場長の第一声だ。トイレから戻ってきたところで突如聞かれた。
「やりますけど、スロットの方ばっかりですね」
「メタルの方か。俺っちもたまにやんだけど、最近のはチカチカして何が何だかわかんねんだよな」
工場長はメダルの事をメタルという。昔はそうだったようだ。パチンコといえばもっぱら銀玉の方で年配の者ほどこの傾向が強い。チカチカとは、たぶんスロット台の液晶や台枠の点滅などのことだろう。
「みんなちっこいテレビが付いててよ。1とか2とか数字がでんだけど、何のこっちゃさっぱりわかんねーんだ」
工場長は液晶画面をテレビという。工場長にかかれば携帯電話の液晶もテレビだ。メタルにシーデー、工場長の物言いにはいちいち違和感を覚える。
「押し順ナビの事ですか? それ、従わないと損しますよ」
ムダだと思うが一応はいってみる。
「そうなのけ、こないだも何か当たったみてーだったんだけどよ、なんかよくわかねー内に終わっちまってよ……」
工場長の演説は更に続く。
「でも、あれすげー出るんだどな。こないだ隣の若い兄ちゃんがよ、あっちゅーまに間に山盛り3箱出してよ。んで、すぐ止めちまったから、まだ出んじゃねーのかと思ってやったんだけど、今度はうんともすんともいわねーで3万もいかれちったよ」
目をまん丸にして熱く説明する工場長。
「それってAT機ですよね?」
工場長の話から察するに、このタイプのスロットしか思い浮かばない。
AT機とは、スロット台の種類のことだ。常に高確率で成立しているが確率でしか取得できない子役を押し順ナビゲートによって取得できるようにし、ボーナスに頼らずともメダルを増加させる機能をもった台の総称になる。その押し順ナビゲート区間を『アシスト・タイム』と呼ぶのでこう略される。
「んにゃ、わかんね」
即答。あれだけ語っておいて、これだ。
「何か突然光って音が出て、液晶に押し順が出るやつです」
「ほーん……」
口を尖がらせて、小刻みにうなずく工場長。たぶんよくわかっていない。
「あれは何か、出る時間とか決まってんのけ?」
「いや、抽選だから決まってないと思いますけど……」
的外れな質問に窮しながらも答える。
「こないだはよ、ちびっとやるつもりが終わんなくて、あっちゅーまに7万も勝ったんよ」
目が飛び出る勢いで話す工場長。ついでに白の鼻毛も出ている。
「凄いですね。何でそんなに出したんですか?」
興味もないが、お世辞のつもりで聞いてみた。
「よくわかんねーんだけど、黄色いやつ」
何とも要領を得ない答えだが工場長のいう黄色いやつには心あたりがある。
「もしかして100万とか出ちゃうやつですか?」
「100万って、100万円け、何枚出ればいいのよ?」
「大体5万枚ですね。そうそうあるもんじゃないですけど」
「か~、5万枚け。5万枚……、5万枚……」
大層に驚いた工場長。繰り返す声は小さくなり視線が遠のいていく。工場長の精神は、どこか遠くのおめでたい場所へ旅立ってしまったようだ。
そう――、何がそうかといえば最近のスロットは凄いのだ。僅かな時間で大量のメダルが吐き出され、それが自分の財布へと入ってくる。もちろん現金としてだ。
一昔前まではパチンコといえば玉の方、もっぱら銀色の玉を打ち出すマシンの方で、メダルで遊技するスロットコーナーは一部のコアなファンがコソコソと嗜むような日陰の存在だった。
ところが、スロット台に革命と呼ぶべき、いくつかの変化が起こるとスロットコーナーに多くの客たちが押し寄せるようになる。
店側もそれに合わせてコーナーを拡張していき、今では店の1/3以上がスロットコーナーというのも珍しいものではなくなってきている。その勢いは今も続いており、スロットだけで構成されたスロット専門店なるパチンコ店も現れ始めているほどだ。
その原動力となった要素は、ずばり『出る』こと。つまりは『メダルを大量に獲得できる期待が高い』ことだろう。
それまでより格段に早く、そしてたくさん出るスロット台たちは爆裂機などと呼ばれ、多くの客たちを魅了していく。 その中には時速5000枚、つまり1時間で10万円などと宣伝する機種もあり、仕事帰りのサラリーマンたちが目の色を変えて群がるように集まった。
そんな札束舞い散る熱狂のスロット・ブームの中に自分たちもいた。
午後5時00分、仕事が終わった。
定時を知らせる鐘が鳴り、帰る時間が訪れた。だが、そんな気配はない。工場長はタバコを片手のしかめっ面で納品書を見ているし他の社員も作業し続けている。
午後5時05分、誰も帰る気配をみせない。
とりあえず掃き掃除などしてみる。
午後5時08分、まだ動かない。
周りの様子を見つつ、ゆっくりと帰り支度を始めてみる。
午後5時13分、もう待っていられない。
「お先に失礼します」
そう工場長に挨拶し、そそくさと会社をあとにした。
車で向かうのは会社から一番近いパチンコ店の『ロジャー』だ。
ようやく到着もすでに駐車場には車が溢れ、さらに続々と新手が入ってくる。
出来るなら入口近くにとめるたいが、まず空いていない。スペースを探す車同士が駐車場内で渋滞を作る始末だ。面倒でも最初から奥側を目指した方が早い。
店中に入ると客でごったがえしている。客たちの間を縫うように目当ての機種の島へと急ぐ。
遅かった――。目当ての島の惨状を見てそう思う。
2列16台ある島は満席、身なりからして仕事終わりのサラリーマンたちが今さっき打ち始めたようだ。あと5分早ければ状況は違っただろう。空き台がでるまで待つしかない。
客たちの様子とデータカウンタの数字を見ながら通路を行ったり来たりする。席を立つ素振りを見せた客がいれば、さりげなく近づき様子をうかがうのを繰り返していく。
そうしている間に何台かの空き台を目の前にしたが、全てスルーした。
空き台なら何でもいいというわけではない。条件があるのだ。
まず、押し順のアシストナビゲートに従うだけでいとも簡単かつ驚異的な速度でメダルを増やすことができ大勝の可能性が最も高く、店の主役であるAT機――の方ではなく『ストック機』と呼ばれる機種であること。
さらに調子が悪い台であること。要は当たっていない運の悪い台であるほど好ましい。
この条件を満たしている空き台が現れるのを、ずっと待っているわけだ。
さっきから空き台はチラホラとでているが、それがAT機ばかりで意味がない。一応はAT機でも好条件であれば打つが、その条件は厳しく、まず打つことはない。
店に着いてから1時間は経っただろうか。まだ1台も打てずにウロウロしている。
鼻息荒く遊技に興じるお客たちを眺めながら、そろそろヤメる頃合いになるはずだと淡い期待が湧き出てくる。
AT機の島では何台かが派手に出はじめた。基本的には当たらない仕様だが、客の数が多くなれば運良く当てる者も現れる。それが一際目立つものだから、全体としてマイナスでも盛り上がっているように見えてくるから不思議だ。
一方で、ストック機の島は静かなものだ。ちょろちょろとボーナスを引いてはいるものの大きく勝っていそうな客の姿はない。
出るAT機、出ないストック機――、という客が持つイメージそのままだ。
だから、スロットコーナーの主役はAT機であって、ストック機はその脇役に過ぎない関係に今はある。
ストック機に座っている客たちの中にはAT機に座れなかったから仕方なくやっているという者も少なくないだろう。そもそも打っている台がストック機ということすら知らずにいる層もいるくらいだ。
AT機が派手で印象的な出方をするのに対し、ストック機は昔からある機種に毛が生えた程度の印象しか持たれていない。
だが、“勝てる”のはストック機の方だ。
そんなストック機の特徴は成立したボーナスを貯め込むという文字通りの機能であり、貯め込んだボーナスをまとめて吐き出し連チャンさせるための仕様になっている。
こう聞けば、なんだそんなことかと思うかもしれないが、それは大きな間違いだ。
貯め込む――、つまり、ストックしたボーナスは引き当てたはずの本人に必ずしも与えられない、という状況を引き起こす。
従来の台であれば成立させたボーナスは成立させた本人のものだ。それがストック機になると成立したボーナスがストックされてしまうので、その限りではなくなってしまう。
極端にいえば、ひたすらストックだけさせられて帰る哀れな客と貯まったストックをごっそり頂いて帰るハッピーな客という偏った結果を生むことになる。
ストックがある台とない台では勝ちやすさが大きく変わってくるのだ。無論、ストックがある方が有利であり、ストックがない場合は不利を通り越して台はただの貯金箱と化すだろう。
だから、意地でもストックのある台を取るべく、なるべく当たっていない台、とにかく出ていない台を待っているわけだ。
このような打ち方は、俗に『ハイエナ』と呼ばれている。
誰が呼び始めたのか、ずいぶん昔からある言葉だったがストック機の仕様を考えれば当たり前の打ち方といえるだろう。
奥の方でスーツ姿の男が席を立ったのが見えた。素早く台を確認しにむかった。
760――、データカウンタの数字はこう刻まれている。
携帯電話取り出して、台の下皿に置く。とりあえず台を確保した。データカウンタをポチポチといじって履歴を確認していく。
悪くなさそうだ。いや、履歴はかなり悪い。この台を打っていた客は何も面白いことはなかっただろう。ひたすらお金と恨みを吸い込んだヒドイ台だ。
この台に決めて千円札をメダルに替えて打ち始めた。
レバーを叩いてボーナスを待つ。履歴の悪さからしてストックはそれなりにありそうだが最初のボーナス当選はどうにもならないので、ただ願うだけだ。
打ちながら同列にあるストック機の島を見ると、そこそこの客がいる。AT機の島と比べてしまうと一段劣るものではあるが、それでも前よりずっと賑わっていた。
ストック機はAT機のおまけのような扱いだ。設置してある台数も大きく違えば設置してある場所も見栄えの悪い通路の奥側というのが常識となっていた。
派手でわかりやすいAT機と、よくわからないストック機という構図で考えれば当然の結果なのだろう。
そんなAT機優勢の状況を、あるストック機が変えようとしている。
可愛らしいカエルのパネルにリール上部に付けられたドット液晶で巻き起こる演出、震えて止まるリール――、斬新な機能を携えて人気急上昇中のストック機、その名を『キングパルサー』といった。略して『キンパル』と呼ばれる台だ。
目の前にある台は、もちろんこのキンパルに他ならない。
このキンパルが登場すると徐々に設置台数を伸ばし、いまでは多くの店舗で見かけるようになった。全く設置していない店の方が珍しいかもしれない。新たに導入したり増台するという話もよく聞くようになった。
キンパルが増えることは、ハイエナできる回数も増えるということだ。それは勝ちへとつながっていくだろう。
とはいえ、目の前のキンパルは静かなままだ。ストックがある可能性は高いものの、そのストックを吐き出すための最初のボーナスは、そのあるなしにあまり関係がない。要は運任せとなる。
ストックを狙うハイエナ戦法だが必ず勝てるというものではない。あくまで有利になるという程度だ。
それでも十分な成果が期待できるやり方ではあるが、初当たりまでは隣で雑に打ち散らかすおじさんたちとやっていることは変わらないというもどかしさはある。
現状を抜け出すきっかけとなる最初のボーナスは願うしかない。ストックを貯め込んで丸々太ったカエルを相手にレバーを黙々と叩いていった。
麗らかな午後、定時まであと2時間までこぎつける。
いつもならパートのおばさま方がテーブルにお茶とお菓子を囲む時間だが、今日は違う。
みな黙々と袋詰めの作業に徹している。今日の定時が1時間繰り上がったから3時のおやつ休憩がなくなったようだ。なぜかは知らない。だから聞いてみた。
「今日は何で早いんですかね?」
詰め終わった袋を運ぶ一人のおばさまは足を止めて答えてくれた。
「ほら、大きいサッカーの試合が6時からあるじゃない」
あまり大きくないおめめを必死に大きくするおばさまの言わんとする事はわかった。
「ああ、ワールドカップですか。そんなんで定時が繰り上がったんですか?」
意外だったと素直な感想と疑問を伝える。
「だって、ワールドカップよ」
さも当然という顔のおばさま。だっての意味がわからない。サッカーに興味があるようにも見えない。
「へ~僕、Jリーグしか知らないですから、あんまり興味ないです」
この一言は軽率だった。おばさまの顔色がみるみる変わる。何か悪いこと言ったかと振り返る間もなく、こういわれた。
「非国民! そんなこと言ってると親が泣くよ」
子供を叱るような口調で怒られた。
午後4時になると工場長がみんなに今日は早く帰るようにと伝える。ぞろぞろと帰るおばさま方に紛れて会社を後にし た。
さっそうとロジャーへとむかった。時間はまだ4時半にもならない。道行く車は少なく、駐車場もガラガラで止める場所に苦労することもなかった。
あと1時間もすると道は大混雑し駐車場が満杯になるのが思い浮かぶと小さくため息が出る。
店に入ると、いつもよりは静かに感じた。客がまだ少ないからだろう。それでも耳をつんざく騒音は相当なレベルだ。
キンパルの島に足を踏み入れると、客はまばらで空き台の方が多い。ぱっと見まわすだけでも数台はやる価値のある台が見つかった。
朝から適度にあった稼働の残り香がサラリーマンの大群にわけもわからず荒らされずに残っているわけだ。台は選び放題だ。まさに手つかずの宝の山を前にして今日の勝利がほの見える。
数台を打ち終えた頃に下皿に置いてあった携帯電話のイルミネーションが点灯しているのに気がついた。
液晶に小さくカズキと表示されている。マナーモードにしているわけではないが、この騒音下で着信音はまず聞こえな い。携帯電話を開く横目にもう9時になるのを知った。
「――どこにいんだよ?」
第一声、かなり張った声だ。カズキが聞いているのは、どこのパチンコ店かという意味だ。聞こえるのだろうこの雑音が、だからこんなに声を張る。
「ロジャーにいる。ロジャー!」
聞こえていなさそうなので2回繰り返した。
「わかった、そっち行くから――」
他にも何か言っているようだが聞き取れなかった。とりあえず「はいよ」と 返事して電話を切る。それも聞こえたかどうか怪しいものだ。
電話を切ってそうしない内にカズキは現れた。
「ずいぶん調子いいじゃん」
頭上にあるドル箱2つを見て言ったのだろう。羨ましそうに眺めている。
「どっか行ってた?」
「あー駅前。イベントで6が抽選だったから」
駅前とは、駅前にある『セブンズ』という店の事だ。イベントに釣られて行ってはみたが、どうやら空振りだったようで、しかも未練打ちして結構負けたようだ。それが顔に出ている。
「飯食いに行こうぜ」
カズキの誘いの言葉に時間を確認すると、もう9時20分になる。席から見まわす限り、もう出来そうな台もなさそうだ。閉店まで後1時間ちょっと、どうしようかと悩む自分に頭上のドル箱がちょうど頃合いだよ――、と語りかけてく る。
流したメダルを交換して表へ出た。外はすっかり夜だ。
車に戻ると隣に白のビッグホーンが止まっている。カズキの車だ。こちらを確認すると車から降りてくるなり聞いてきた。
「いくら勝った?」
お決まりの質問をカズキがする。これを聞かない日はほとんどない。
「5万くらい」
端数を切って少なめに答えた。
「あれ1台で? 何連したんだよ」
「いや、6台あわせて」
「6台! そんなに拾ったのかよ?」
カズキは派手に驚いた。拾ったとはハイエナしたという事だ。ハイエナ可能な台を仕事帰りに来て探しても、たいていは1台出来るかどうかだ。それを6台もやったという事で驚いているのだろう。
「今日早く終わって5時前に来たら、やる台が結構あってさ、混みだす前に動けたんだよね」
「へー、なんで今日はえーんだよ」
「サッカー見るんだってさ」
「なんだそれ? そんなんで早く終わんのかよ」
「それ俺も聞いた。そしたら、おばちゃんに『だってワールドカップよ』って顔された」
「ああ、そういう奴いるよなー、テレビでやると急に言い出す奴、Jリーグも見ねえくせに」
元サッカー部のカズキは怒る。
「でも、1時間早いだけで全然違うね。やっぱ5時過ぎると客付きが良すぎてダメだ」
「まったくリーマンどもがわらわらと、他にやることねーのかよ」
「自分もでしょ」
カズキの怒りが自分を含めていない勝手さを諭す。もう一方ではその気持ちもよくわかっていた。
夕方5時過ぎに現れる客の大半は仕事帰りのサラリーマンだ。多くの会社の定時が5時にあるから、それを過ぎた辺りから急激に客が増える。駐車場は満杯になり店が客で溢れ空き台がなくなる。同じパチンコ店でも4時半と5時半とでは別世界だ。
「あいつら何にも考えねーで空き台なら何でも座っちまーんだもん。さっき俺がヤメた台もソッコーで取った馬鹿がいたし、たぶんストックねえのに、ホント馬鹿ばっかだ」
心底憎らしそうにカズキ言い放つ。
客がいなければハイエナは出来ない。しかし、客が多過ぎてもやりずらい。そんなジレンマの原因が、いつも大群で押し寄せる有象無象のサラリーマンにむく。
横目に通り過ぎる客が多くなった。話し込んでいる内に閉店を迎えてしまったようだ。
「あー、明日も仕事かー」
カズキは思い出したかのようにつぶやいた。
2002年6月13日 +6000円
14日 +53000円
#2←前話・次話→4G目:勤労は汗のにおい
(現在地:社会ふ適合/3G目:最近のスロットは)