ループ現象が起こるという峠にエージェントを派遣したあと・・・
短編の一覧&作品設定 | 公開-2025/10/24
「ナナオさん。じゃあ、いってきますね。所長によろしくいっといてください」
「オッケ~、いってらっしゃい~」
ナナオと呼ばれた性別不詳の従業員は下を向いたまま一瞥もくれることなく私物の端末を弄りながら返事した。
ナナオの端末には若い男性グループが悩殺セクシーランジェリーと称された衣装を纏って同期の取れた挑発的な振り付けを繰り返している様子が映し出されている。
長く伸びた真緑色のネイル、作業効率が悪そうな指先で端末を小刻みに連打していた。画面にはハートマークが次々と出現し、そのカウント数が競争の指標として記録されている。その顔は真剣だ。
「なんなのこいつー!」
ダンスが終わるとナナオのアカウント名はシルバーの王冠を戴いた2位と表示された。そのイラつきを隠さず自分のアカウント名の上位に居座るユーザーに敵意をむける。
「はぁ~、ケーキ買お」
ケーキ、菓子の方ではなく相手アカウントに贈るヴァーチャルギフトのことだ。ギフトにはランクがあり、下位は無料から上位になるほど高額になっていく。ケーキは中位ランク、この時代の平均的日当の半分程度になるだろう。
ナナオのいうケーキを買うとは、まずプラットフォームで通用する仮想コインを購入し、そのコインでギフトを選択して購入、それを相手に贈る、という一連の流れを指す。回りくどいが相手との直接的な金銭のやり取りを抑止する法規制を迂回するための典型的な手法だ。
ナナオは自身の日当の半分に相当する額を支払いケーキを入手、男性アイドルグループのアカウントへ贈る。画面には贈ったこと、贈られたことを祝福するエフェクトが入り、短い時間だがナナオのアカウント名が表示され傷ついたメンタルを癒していく。
この間に他ユーザーからギフトが送られていても表示されない。ナナオだけの独占時間なのだ。それが仮初だとしても。
満足のいく出費を終えたナナオは、ふぅ、と一息つき、ようやく重い腰を上げた。
「さて、と……」
業務に戻るのかと思われたが、その足はデスクではなく給湯室へ向かった。ドーパミンが放出された後の典型的な回避行動である。インスタントコーヒーと美容効果があるとされる白い粉をマグカップに多めに入れ熱湯を注いだ。
そしてようやく自身のデスクへと着席し、先ほどのエージェントが向かった仮想領域のモニタリング業務を開始した。
モニターには無機質な文字列とアイコンだけが並んでいる。
AGENT: B-2 STATUS: ACTIVE LOCATION: NAKAYAMA_T-01 VITALS: STABLE
エージェントのステータスに異常なし。彼の現在地を示すマーカーがマップ上をゆっくりと移動していく。
今回の依頼は、この仮想領域内に再現されたT県とI県の県境、通称『ナカヤマトウゲ』にいるVR利用者、87歳になる女性への代理通告だ。
サービス提供者からの確認事項や規約違反に関するものを、このVR利用者へと”直接会って”伝えなければいけない。
簡単な仕事だ。派遣したエージェントが会って、伝えるだけ、それだけのこと。
しばらく進展のなさそうな気配を察知したナナオはモニターから視線を外し、傍らに立つアクリルスタンドに手を伸ばした。例の男性アイドルグループのリーダーだ。うっとりとしたため息を漏らしながら、その完璧な造形を指でなぞる。スタンドに付着した微細な埃に気づくと、おもむろに袖で優しく拭い、はぁ~と息を吹きかけて磨き上げた。他にも缶バッジやキャラクターグッズがところ狭しと並べられ、物理的な作業領域を著しく圧迫しているがナナオが気にしたことはない。
ほどなくしてモニターのマーカーが点滅し、アラート音が鳴った。
STATUS: GOAL_REACHED LOCATION: NAKAYAMA_T-02
マーカーは一応の目的地であるI県側に到達している。同時にエージェントから通信が入った。
「ナナオさん、着きましたよ」
「ダメよ。それじゃ」
ナナオはコーヒーを啜りながら、気だるげに返した。
「え?」
エージェントは困惑している。
「着いたら失敗なの」
「ええ?ナカヤマトウゲを通って目的地に向かえっていうから……」
エージェントにはタスクの真の目的が今は開示されていない。余計な先入観による行動汚染を避けるための措置でもある。
「ダメなんだって。失敗なの」
「・・・じゃあ、もう一回いってきますよ。リセットしてください・・・」
エージェントは健気にも、すぐに仕切り直しを要求した。
再度、タスクが開始される。
このタスクの成功条件は簡単だが失敗になる可能性が高いのは想定されていた。ここに依頼に来る前にも多くの事業所が試したようだが、全て失敗に終わっている。
理由は、VR利用者である老婆に接触できないからだ。
ナカヤマトウゲに確かにいるはずの老婆を発見できない・・・。不確かな補足情報ではナカヤマトウゲには稀に発生するバグ、峠道がループしたという記述がある。その構造のときだけ、ループ現象が起きているときだけ老婆に接触できるのではないか、そう所長は見立てエージェントを送り込んだ。
エージェントは再びT県側からI県へと向かう。しかし、結果は同じだった。
「すみません、また着いちゃいました」
通信越しの声にそこまで悪びれた様子がないことにナナオは内心腹を立てながらも、よからぬ算段を立て始めていた。
ループ現象が起きないのは、エージェント自身の『峠を越える』という意識と記憶が現象発生の阻害要因になっているのではないか。 所長のマネをして、もっともらしい仮説をナナオは立てた。
ナナオはモニタリングの手間を抜本的に削減する方法を画策する。
「ねえ、今度はI県側からT県側に戻ってみて」
「え?そんな指示、ありませんでしたけど……」
「いいから。やってみて」
ナナオはエージェントの反抗を強引に押し切り、T県からI県へ、そしてI県からT県へと自動で往復し続ける無限ループタスクを新規作成した。
TASK: NAKAYAMA_LOOP_∞
これで、エージェントは自律的に往復運動を繰り返す。
だが、これだけでは不十分だ。エージェント自身の意思が介在する限り、「疲れた」「飽きた」といった非効率な感情が発生するのは目に見えている。 そこでナナオは禁断のコマンドを実行した。
CMD: AGENT_B-2/memory_flush/short-term
情報整理という名の短期記憶の操作。これによりエージェントはループのたびに直前の記憶を失い、毎回が初めての”新鮮な気持ち”で捜索に臨むことになる。
エージェントには伝えない。伝えれば「ぼくの連続性が~」とか一丁前のことをほざくにきまっている、どうせ忘れるなら必要なしとナナオは即決、記憶のバックアップ処理もスキップする。
手間から完全に解放されたナナオは、所長に当たり障りのない報告メッセージを送った。
『捜索は難航中。現在、エージェントの情報を整理しつつ、I県側からのアプローチルートも並行して検証しています』
そして再び私物の端末に視線を戻す。
今度は無数の猫が映し出されているライブ配信だ。ナナオは慣れた手つきでコミュニティに挨拶を投稿し、他ユーザーへの「いいね」や配信者への短いコメントを送信する。 それらのアクションによって得られる無料ギフトを黙々と回収していくのだった。
軽妙なアラート音が静かな事務所に鳴り響いた。ナナオが設定した重要事象発生時のみに作動する警告音だ。
ナナオは舌打ちし、愛らしい猫の映る画面から渋々モニターへと顔を上げる。
そこに映し出されていたのは点滅する赤い警告文。
STATUS: SIGNAL_LOST LAST_KNOWN_LOCATION: NAKAYAMA_T-14
これまでマップ上を機械的に往復していたエージェントのマーカーが忽然と消滅していた。
SIGNAL_LOSTはエージェントの仮想身体を維持できないほどの出来事を示している。事故にでもあったか・・・、峠道だし崖から落ちたか・・・。あるいは対象に接触したが何かトラブルあったか・・・。
ナナオは数秒、無表情でモニターを見つめた。エージェントの消失の意味を考える。
「……まあ、いっか」
ぽつりと呟きキーボードを叩いた。消耗品がひとつ無くなった。ただそれだけのこと。仮に対象に接触した可能性があっても、今はその予兆でしかなく追跡ができない。ナナオは考えるのをやめた。
CMD: DEPLOY_AGENT/B-3 CMD: ASSIGN_TASK/NAKAYAMA_LOOP_∞
モニターには再び新しいマーカーが出現し、何事もなかったかのように峠道を往復し始める。
ナナオは満足げにうなずくと再び私物の端末に視線を戻した。画面の中では白猫が毛玉のボールにじゃれている。平和な光景だ。
ときおりモニターからアラートが鳴り響く。
AGENT: B-7 SIGNAL_LOST, AGENT: B-8 SIGNAL_LOST, AGENT: B-9...
ナナオは端末から一瞬だけ視線を外し、新しいエージェントを投入するコマンドを機械的に実行する。あとはまた猫動画の世界に没入し、無料ギフトを回収する指先のタップは止まらない。
しばらくその繰り返しが続いた。
――さすがに進展がなさすぎる。
ナナオは少しだけ眉をひそめ、ループのパラメータを調整しようかと一瞬考える。だが、下手に設定を弄って、この一応の予兆の再現性そのものが失われてしまう可能性を危惧した。
結局、現状維持を選択する。
「ふぁあ」
隠す気もない大きなあくびが漏れる。ナナオはちらりと壁の時計に目をやり、頭の中で計算を始めた。接触後の通告、離脱、事務所への帰還、そして報告書の作成。それらにかかる時間を逆算すると、そろそろ接触を成功させなければ、エージェントが今日中に業務を完了できなくなる。この面倒なタスクを明日に持ち越すのはナナオにとって避けたい事態だった。
「……しょーがない」
面倒くさそうに呟き、ナナオは重い腰を上げ、ようやく本格的な介入を決意する。
ナナオが取った行動は単純極まりないものだった。エージェントのペルソナデータを複数コピーし、それを僅かな時間差で次々と仮想領域へ送り込む。デジタルによるマンパワーのごり押し。古典的な人海戦術である。
コマンドを送信し終えたところで、ふと、ナナオの脳裏に技術的な疑問がよぎった。
投入したエージェント同士が、あの峠道で鉢合わせたらどうなるのだろうか。 同じペルソナデータを持つ存在が同一空間で遭遇する。本人的にはホラー現象であるだけでなく、それは予測不能なバグやシステムの停止を引き起こしかねない重大な禁則事項ではなかったか、と。
しかし、その思考は一秒と持たなかった。「……まあ、なんか上手いことシステム側で処理してくれるでしょ」と。仮に致命的なエラーが発生しても自分の知ったことではない。ナナオはそう結論づけると、すぐに興味を失い、再び私物の端末へと視線を落とした。
人海戦術を開始してから、さらに数十分が経過した。
しかし、モニターに進展はない。 「もー、まだー?」 と、ナナオは苛立ちを隠さず呟く。自身が立てた完璧な業務計画が、このせいで数分単位で崩れていく。その事実がナナオの機嫌を急降下させていた。
その時だった。これまでとは異なる静かな通知音が鳴る。
STATUS: CONTACT_SUSTAINED TARGET: USER_ID_XXXXX
これまで不明瞭だった対象利用者のデータがクリアに表示される。同時に接触に成功したエージェントのマーカーが点滅を始めた。
「……やったか?」
疑念と安堵が入り混じった声が漏れる。しかし、安堵が勝るのに時間はかからなかった。業務を今日中に終わらせるという思考が即座に脳内を支配する。
CMD: SET_ANCHOR_BEACON/AGENT_B-62/TARGET_ID_XXXXX
ナナオはすぐさま対象とエージェントを紐づける追跡ビーコンを打ち込み、逃走や見失う可能性を完全に断つ。 そして、タスク完了への道筋が見えた瞬間、普段は稼働率の低いナナオの脳が驚異的な速度で回転を始めた。
――邪魔な存在がいる。あの大量に投入した複製体。
ナナオはキーボードを乱暴に叩き、接触に成功した個体以外の全エージェントを強制的にデリートしていく。モニターから無数のマーカーが瞬く間に消滅した。 画面には、ただ一体のエージェントと、その接触対象である利用者のマーカーだけが残った。 ナナオは、ようやくオペレーターとしての本来の業務を開始する。
「あ、そうだ。忘れるとこだった」
ナナオはエージェントに仕掛けていた情報規制を解除する。
ナカヤマトウゲにいるVR利用者に伝えるべき情報は個人情報保護法によって守られ、委託を受けた第三者であってもその直前の必要な場合のみアクセスが許可された厳重なものなのだ。
「ふー、危ない危ない」
うっかりミスで獲物を逃がし損ねたところだったと気づく。このとき多数のエージェントが消えては失敗を繰り返したのは情報解除し忘れていたせい?とふと頭をよぎるが、すぐ「まーいっか」と闇に葬った。
ほどなくして、モニターに簡潔な通知が表示された。
TASK: COMPLETE
エージェントが、対象利用者への通告を完了したことを意味する。
「よしっ」
ナナオは小さくガッツポーズを作り、即座にエージェントの強制離脱コマンドを実行した。
これで今日中に報告書が上がってくるだろう。自身の見事な采配を振り返る。
柔軟な発想によるデータのリフレッシュ、大胆なリソースの集中投下、そして迅速な後処理。一連の華麗なオペレーションは、すべて今日の業務を今日中に終わらせるという崇高な目的を達成するために必要不可欠なプロセスだったのだ。
細かいことを言えば、ほんのちょっとだけ法令違反とか規約に触れる部分もあったかもしれないが完璧な仕事だったとナナオは自画自賛した。
タスクを終えたエージェントが帰還したようだ。ナナオは一応は労ってやる。
「おつかれさま~。大変だったね」
「はい、かなり時間かかっちゃいました。すごいこわかったし」
エージェントは大げさに恐怖を訴えてくる。
「こわかった?どんな風に?」
ナナオはちゃんと記憶が消えているか探りを入れる。あの峠で自分と出会ってしまうというニアミスもあるからだ。
「なんていうか、昔話とかの人喰い鬼婆の話みたいな感じです」
「いいな~、貴重な経験じゃん」
エージェントが覚えていないことに満足し適当に合わせる。
「モニタリングはできてなかったんですか?ずっと連絡とれないし」
自身の怠慢を問う質問に、ナナオは即座に自己正当化のロジックを組み立て始めた。
「できたけど、圏外にして泳がせておけって、所長が」
ナナオはとりあえず所長のせいにしておく。
「えー、なんですかそれー」
「再現性を高めるためだってさ。文句なら所長にいってよ。早く報告書だしてね~」
そう言って話を切り上げる。もうこの件は終わりだ。ナナオは再び私物の端末に意識を集中させた。
ほどなくして所長も戻り、エージェントと話を始める。
「いやー、知らない方が再現性が高いんじゃないかと思って。まあ、上手くいったんですからいいじゃないですか」
「よくありませんよ。なんとなく察しはついてましたけど……」
あきらかに不満がある物言いのエージェント。
「でも地形がループするとか。そんなことあったらすごい大事になるんじゃ……」
「それがなかなか発生するわけじゃないみたいで、うちに依頼が来る前にも方々で試したみたいですけど上手くいかなかったようですね。その点でうちのエージェントは流石ですよ」
所長はうまくエージェントをおだてて穏便に済まそうとしている。上手くいったのは自分の名采配のおかげだと主張してやりたがったが、ナナオはエージェントに花を持たせる寛大な心で黙っている。
「不可思議な現象が起こらないと、あのお婆――、利用者に会えないってことですか?」
「んー、それは何とも。デベロッパー側なら直接やり取りできるはずですが、仮想世界の権利は個人情報保護と複雑に入り組んでいてそう簡単にはいかないようです」
「つまり仮想世界内で接触する必要がある、と」
「他にも方法はあるんでしょうが、その方が安上がりなんでしょうね」
所長は、やれやれといった手振りで話す。
このまま2人の話が長引けば自分の“名采配”が露見するかもしれない。そうなる前にとナナオは会話に割って入る。
「所長~、依頼がきたよ。次は地方都市のマンションだって。存在しない部屋が出てるとかなんとか。受けていいよね~」
ナナオの的確な誘導により話の流れが新しい仕事へと移った。
「はぁ、怪異の次は都市伝説か……」
次の仕事も押し付けられることを察したエージェントはいう。
「面白いじゃないですか。仮想空間に現実に囁かれた不可思議が自然発生しているんですから」
口元に手をあて笑いをこらえるようにいう所長。
「発生するまで何度も同じことを繰り返す身にもなってくださいよ。こっちがおかしくなりそう」
嬉々として話す所長にエージェントは反発する。同じ繰り返し、おかしくなる、・・・あながち間違いではないかもしれないな、とナナオは一人うなずく。
「ふふふ、不可思議を追う青年が、不可思議に憑りつかれていく――。これも自然発生する怪異の要素を秘めてますね」
所長はそんなエージェントの様子を楽しんでいるような言葉を返していた。自然発生する怪異・・・、全ては勝手に自然発生しているのが悪いのだ、ナナオはさらにうなずく。
そんなアットホームな職場
2000~15年前後によくみられた求人広告のキャッチコピー。実態が極めてブラックな職場であるほど、この家族や家庭を匂わすワードを使いたがり、他にもやりがい、チームプレイ、女性も活躍しています、などもはやネタ化している言葉が多く使用されていた。一種のNGワードのやり取りが行われる古い雑居ビルの一室。その壁には、この小さな事務所の登記名が刻まれたプレートが掲げられている。
仮想領域“労働倫理”研究所――、そう記されていた。
ナカヤマトウゲ 完?
作 ちよまつ(20251024)
#a5 ←前話・次話→しばし待たれよ
(現在地:短編/ナカヤマトウゲ)
